秋葉原通り魔事件と派遣労働

>加藤が否定した犯罪要因
労働環境
加藤が派遣労働社員であったことから、若者の雇用環境が厳しくなっていることで将来に希望を失い、事件の動機になったとする見方も出た。また、この事件をもって若者の雇用環境悪化を問題視する意見が報道機関から多数出て、読者からの投稿でもそれに追随する意見が出された。

だが、刑事裁判において、加藤は本件犯行の動機も原因も雇用形態が派遣であることとは無関係であると供述し、弁護人も検察官も裁判官も、その供述が事実であると認定した[62][2][3][21]。加藤は最初の就職から事件を起こす直前に勤めていた就職先まで、全ての就職の雇用形態が登録型派遣労働社員だったわけではなく、青森県の運送会社では正社員として、宮城県の警備会社で準社員として、直接雇用されている(後に自己都合退職)。

加藤は、短期間で転職を繰り返した理由は、上記のように職場や人間関係に対して不満があると、雇用主や同僚と話し合いをせずに、不満への抗議の表明手段として、無断欠勤してそのまま職場放棄して退職するという、極端な考え方とその現象としての言動が原因であると、裁判で供述している。

また加藤による自著『解+』においても否定している[63]。

社会的孤立
社会学者の宮台真司は社会の側の包摂が足りないのが原因として「絆のある人間関係の中で生きられること」が必要などと主張したが[71]、加藤は地元の青森や仙台を中心に趣味の合う仲の良い友人が幾人もおり[注 7]、どの職場でも友人付き合いをし、心を開いて話をする店主がいる行きつけの酒場などもあった。また掲示板を介しても自らオフ会を提案し、全国を旅行して相手先に宿泊し心を通わせるなど、積極的人間関係の構築により友人が多数いた[73]。事件当日も作業着事件で辞めた元職場の友人へ遊ぼうと呼びかけている。

また「若者が希望を持てる社会、などと言われたりしているようですが、意味不明です。何故そうやって社会のせいにするのか、全く理解できません。あくまでも、私の状況です。社会の環境ではありません。勝手に置き換えないでください」[74]と述べている。

北海道大学准教授の中島岳志は「コミュニケーションが下手で、友達がいない若者はたくさんいる。加藤はうまくやっている方で、もしかしたら、私が教えている学生の方が友達がいないかもしれない。なのに、加藤は孤独だった。問題は友達がいないことではなくて、友達がいるにもかかわらず孤独だったこと」と主張している[75]。

Wikipedia

よく言われている「派遣労働」が原因ではないらしい。

でもね、何を考えているか?なんて本人にしか分かんないし、正社員だからってろくな雇用じゃないんでしょう、本当は(従業員への搾取は統一教会も真っ青なレベル)。そしてこの事件でそういう労働問題っていうのがクローズアップされたものの、それから何か良くなりましたか?って。結局何も変わってないじゃん。むしろ、今後日本はどんどん悪くなるんだっていう見方のが大勢。政府やお役人やマスコミは「景気は回復した」と言うんだろうが、多くの人にとっては「実感のない景気回復」に過ぎないんだろうし(それもずっと繰り返してることか)。

「孤独」にしても、実はこの犯人は決して孤独ではない。もちろん、付き合いのあった人達について、本心ではどう思っていたのか、それも本人にしか分からないけど。やまゆり園の事件もカレー事件もオウムの事件も古くは津山事件も、犯人達は実は「総スカン」ではなかった。

ただ、明らかに「楽しそうにしている人達」を狙ったのは事実でしょう。それも犯人の視点に過ぎず、「隣の芝生は青い」だけです。秋葉原で「楽しそうにしている人達」も、結局は「派遣社員」だったり「家庭崩壊」していたり「病気」だったり、様々な問題を抱えていた人達はいるはずです。

※ちなみに僕らはこの犯人よりはやや年代が下なんですが、氷河期世代ではないとされている。しかしばっちり少子化少子化って、もう45年ぐらいやってるんですよ?まあ、僕は一般的な生活(結婚して家を買うとか)はできませんが。合わなかった。金があっても。

※「自己責任」って言いますが、それなら政府や政治家、公務員なんていらないです。仮に、「自己責任」でその人が窮地に陥っていても、「自己責任」で切り捨てて良いわけじゃない。